天皇御巡幸
「反日団体」と言われて悔しい限りである。
「反日」の”定義”はあるのか、ネットで調べてみた。
反日(はんにち、英: anti-Japanese)とは、日本に対して悪意や反感を抱くこと。「反日運動」「反日感情」などを指す[1]。対義語は親日。 以上ウィキペディアより。
対義語は「親日」となっている。この語句は外国あるいは外国人に使用するものである。
日本人が日本国内で「親日」は少し変だ。「愛国団体」では右よりな感じだ。
「愛日」とかどうだろうか。
宣言してみる。
『世界平和統一家庭連合は愛国・愛日団体』です。
保守の方々にとって天皇家は絶対である。多くの日本人にとっても尊敬の対象である。
日本民族の総本家である為に名字がない。分家して初めて宮家となる。
皇室アルバムというテレビ番組が今でもしている。毎週日曜日の朝に放映している。小学生のころ時々見ていた。中学高校時代は部活動の為見なくなった。親からも学校でも教えられなかったが天皇家は尊敬すべきと思っていた。家庭連合に入教した今でも天皇家を尊敬しているし日本民族の中心であると感じている。
先の大戦後、昭和天皇は日本全国を巡回なされた。天皇陛下なので「巡幸」と表現する。
1985年「天皇御巡幸」と言う書籍が出版された。迷わず即購入、そしてすぐ読んだ。
感動した。
心が震えた。
あまりに良い本なので母親に渡した。
今回このブログの執筆の為、母の本棚を探したが無かった。
捨てられていた。
早速ネットで古本を探して購入。もう一度読んだ。
やっぱり感動した。
心が震えた。
1975年に昭和天皇陛下の記者会見があった。
「一番うれしかった事は」との質問での回答が「しかし、なお、終戦後、日本国民が努力して、りっぱに日本の復興ができたということが、一番うれしく感じています。」とあり「最もつらく悲しかった思い出は」との質問での回答が「それは言うまでもなく第二次大戦であると思います。私はこういう悲しむべきことが今後も起こらないことを祈っております。」とおっしゃられている。
この記者会見の中で陛下個人の事もお話をなされてはいる。しかし、やはり国民と日本国のことをいつもお考えである。
阪神淡路大震災の時は今上上皇、上皇后陛下が被災地に行啓し被災者の方々に慰問してくださった。両陛下が膝をついて被災者の方々にお言葉をかけてくださった。陛下が膝をついてお話されるなど今までなかったと、皇室に詳しいジャーナリストが言っていた。
バスの中から美智子様がこぶしを握って励ましてくださったお姿は忘れられない。
「天皇御巡幸」と言う本を1985年に出版したのは世界日報社だ。
現在は天皇御巡幸の本は数冊出版されている。世界日報社が最も古い。
古いのでもう絶版になっている。
天皇家への尊敬の思いなくしてこのような本が出版できるだろうか。
できるはずがない。
重ねて言わしてもらう。
我々、世界平和統一家庭連合は反日ではない。愛国・愛日団体である。
余談だが、共産党の国会議員は国会の初日は欠席していた。国会初日には天皇陛下より開会のお言葉があるからである。国会は天皇陛下により招集されて開催される。天皇陛下の国事行為だからである。しかし2016年からは出席するようになった。ただ『天皇が高い席から「おことば」を述べる点を批判しつつも・・・』とまだ不満があるようだ
外務省に電話した。モザンビーク 宝山晶子さんの件
世界平和女性連合のモザンビーク派遣員・宝山晶子さんの外務大臣表彰の取り消しの件である。
書籍「家庭連合に信者に人権はないのか」で知った。
アフリカのモザンビークで20年に渡り私設学校を建設運営され1万人を超える卒業生を輩出。
2014年にはあのNHKBSでも特集番組を放送した。
モザンビーク最難関のエドアルド・モンドラーネ大学の医学部、工学部、理学部に合格する生徒が現れた。2008年のその学校はモザンビークの教育省から私立学校で最高ランクに認定されたのである。
素晴らしい功績である。
電話したのは8月8日だ。ホームページ記載の代表の番号に掛けた。
受付当番と思われる女性の方。
質問内容を説明したら2番目の部署に代わった
また同じことを説明して3番目で当該担当と思われる部署に代わった。
また同じことを説明した。回答はすぐに出来ないとの事。
後日、外務省からこちらに電話をすると言う事でその日の電話は終わった。
もちろん氏名、住所、電話番号を伝えておいた。一般人であることも伝えておいた。
3週間待ったが何もなかった。
一般人なのでほったらかしだろうなと思う。皆さん忙しいもんな。
8月31日に電話した。
アフリカのモザンビークの部署に代わってほしいと言った。
すぐに担当部署に代わった。
また同じことを説明した。
いまは担当者が居ないとの回答。
後日、外務省からこちらに電話をすると言ってきたが、
こちらから電話をすると言った。
またほったらかしはお断りだ。
翌週の9月4日(月)の11時で約束した。
9月4日 11時になったので電話した。
所属はどこかと聞かれた。
どこかのマスコミかジャーナリストだと思われたようだ。
一般人だと答えた。
モザンビークの宝山さんの表彰取り消しは何故かと聞いた。
理由は学校内で宗教活動をしたからだと回答。
それではマリア園もダメという事か、うちの子共はそこでお祈りとか教えられたぞ、とか言った。そして宗教活動のどこがいけないのかと聞いた。
旧統一教会の関連団体だったことが問題だと回答。
現地大使館は関連団体であることを確認していたと、ネットの新聞記事にはあったと言った。
外務省側は知らなかったと回答。
現地大使館と外務省との連絡が悪いのではと言った。
そう取られてもよいですとの回答、だった。
ここで電話を終えた。
疲れた。
受付当番の公務員に突っかかっても無駄と思った。
下の方の役人さんは決まった事しか回答できないだろう。
共産党が悪いのか外務省が悪いのか岸田政権が悪いのか。
誰がどう見ても立派な功績を残した人を国会で非難するとは残念至極である。
現地大使館は「今後、大使館と連絡することも控えてほしい」と宝山さん伝えた。
これも実に情けない言葉である。
大使館の職員皆様は仕事を放棄したのならばさっさと帰国なされてらいかがでしょうか。
一日も早く家庭連合への誤解を解かなければならない。
こんなことで気落ちしている時間はない。
このままでは文化共産主義にこの国が汚染されてしまう。
次世代を担う子供たちの為に「中断なき前進」して行く。
シンポジウムで中山弁護士ができることを何でもよいからしよう、と語られた。
ツイッター(X)とブログを始めようと決意した。
しかし向かってみたら登録から、設定からと意外とむつかしく時間が掛かりそうだった。
そこで外務省に電話を掛けることにした。
ジャーナリストの福田真澄さんの真似である。